DXとは、人材育成の重要性に気づくこと
今の若い人が、物流の仕事に興味が無いのは、年収が低いだけでなく、必ず、残業があるからでなく、労働環境が悪いだけでなく、真剣に将来の事を、自分のキャリアアップを考えているからではないかと思うのです。
10年、20年後には、物流業界は確実に自動化が進んで、今とは働き方が変わっています。
そんな将来が見えない、不安定な業界で働きたい人がいるでしょうか?
しかも、まともなキャリアアップも出来ないとなると、自分の生活、人生が立ち行かない。
最低でも、他業界で通用するスキル・知識が身に付ける事が出来る環境、教育システムを確立しないと、若い人は見向きもしない。
そう考えると、物流DXによる現場のデジタル化は、絶好のチャンスのはず。
デジタル化をする為には、様々な知識やスキルが求められる。
何でもかんでも、業者に任せていては、経費と時間がかかってしまう。
だからこそ、若い人を高度物流人材として、採用・育成する事で、物流業界に対して興味関心を持ってもらう事が出来るのではないだろうか?
「デジタル化は、初期投資がかかる、メリットが見えないから、先送りする」
なんて言っていては、時代を逆行するし、若い人から、ドンドン見放されてしまう。
そう考えると、国が進める高度物流人材の育成するというのは、国が進める物流危機に対する政策の中で、数少ない正解なのかもしれない。
ただ、ここで問題になってくるのが、国が言う高度物流人材を活かす環境が、中小の物流企業にないと事ではないかと考えます。
というよりも、現場が求める高度物流人材と国が定義する高度物流人材が合っているのか?
そこに疑問符が付きます。
日本の物流政策をまとめた「総合物流施策大綱(2021年度~2025年度)」では、高度物流人材とは、物流DX(デジタルトランスフォーメーション)を推進できる人材と定義しています。
その上で、
「物流現場の課題を正確に把握でき、グローバル化の状況を踏まえつつ、広い視野で物流産業が進むべき方向性を見定めることができる上、先進技術なども活用しながら、物流業務の革新に向けた企画・提案ができる人材」
とあります。
中小の物流企業にとって、グローバル展開なんて、夢のまた夢。
さらに先進技術の活用は、資金的に難しいものがあると考えます。
であるのならば、現場が求める高度物流人材は、
「物流現場の課題を正確に把握でき、広い視野で物流産業が進むべき方向性を見定めることができ、現場業務の改革に向けた企画・提案ができる人材」
ではないかと考えます。
そう考えると、中小の物流企業でも、高度物流人材の人物像がイメージしやすくなるのではないかと考えます。
人物像がイメージできることで、獲得する人材の資質なども具体化できるのではないかと思うのです。
さらに、今現在、現場で働いている作業者の中から、高度物流人材の育成候補も見出すことも出来るのはないかと考えます。
多くの物流現場は、経験者を求めています。
そう考えると、初めから人材育成を放棄しているとも考えられます。
その最大の理由としては、時間が無い、人がいない、教育システムが無い、指導する知識・スキルが無いなど、無いのオンパレードの理由を並べ立てます。
その結果、即戦力を求める結果になります。
根本的に、その考え方を変えなくては、有能な、優秀な、向上心、学習意欲が高い若い人が入ってくるでしょうか?
今の時代、人材育成の知識、スキルを学ぶ場や教育システムなんてものは、インターネットを検索すれば簡単に見つけることが出来ます。
なので、初めから探す気が無いとのです。
そんな職場に、若い人は魅力や将来性なんて、微塵も感じないでしょう。
逆に不安だけしか感じないでしょう。
DXは、今まで後回しにしてきたデジタル化による現場の効率化をするチャンスでもあり、現場作業者の知識・スキルを底上げするチャンスでもあるのです。
自動化により、省人化をするにしても、システム設計をする際には、現場からのアドバス、フィードバックが無くては現場に即したシステムを構築することは出来ません。
そのことからも、現場作業者が現状の問題点・課題点を論理的に言語化できるスキルを身に付ける必要があります。
DX、デジタル化は、すべて委託業者が行ってくれるなって、甘い考えでは、本当に効率が上がるシステムを構築することは出来ないのです。
無駄な投資をするのか、将来の成長・発展に向けての投資になるかは、現場の人材にかかっているのです。
それが、今では、現場の多くは、パート、派遣社員といった非正規雇用となっています。
これで、本当に将来の成長・発展に向けたシステム構築が出来るのでしょうか?
結局、最後は、人材の重要性に気づかされ、後手後手に回ってしまう可能性があるのです。
そうしないためにも、人材育成の重要性に気づき、三歩先を見据え、二歩先を語り、一歩先を照らす事が必要な時代へきていると考えます。