成長、対立、そして

本田技術研究所は、藤沢氏が小宗一郎を作る為、独特の組織体制にする為に本田技研工業より分離・独立させた。

 

その効果が出てきたのが、空冷エンジン(空気でエンジンを冷やす方式)を推進する宗一郎氏と水冷エンジン(水でエンジンを冷やす方式)を推進する他の研究員との対立。

 

宗一郎氏の技術の進歩には、常に空冷エンジンと共にあった。

故に、空冷エンジンには絶対的な自信と信頼を持っていた。

 

とは言え、時代は技術の進歩と共に水冷エンジンに移行していた。

その事を敏感に感じていたのは、研究所の若い研究員。

 

その対立を表面化させたのは、F-1参入であり、アメリカで施行されたマスキー法(排ガス規制法)。

世間一般では、マスキー法をクリアーしたエンジン”CVCC”を開発した事で、本田技研工業の名は、広く知れ渡る事になったが、その裏では、宗一郎氏と他の研究員との対立があった。

 

研究所では、宗一郎氏の決定は絶対であり、誰も逆らう事は出来ない。

そこで研究所所長は、研究所の副社長でもある藤澤氏に相談をした。

 

経営を預かる藤澤氏としても、時代は、水冷エンジンに移行している事は判っていた。

当時、F-1以外に参戦していたレースカテゴリーには、水冷エンジンを使っており、そのエンジンを自家用車用に仕様変更する事で、トヨタを追撃出来る車を作る事が出来ると確信していたが、宗一郎氏の空冷エンジンに対するこだわりに押されて、開発する事は出来なかった。

 

そのような経緯があったが、今回のように研究所の技術の基盤が揺らぐような対立には介入しないわけいにはいかない。

とは言え、正面から説得しても、技術の事に関して宗一郎氏にかなうはずはない。

そこで、

 

「本田さん、わたしと最初に会った時、あんたは確かにこと技術に関して、他人から掣肘を受けたくないと言ったよね。

わたしは、技術に詳しい事は分らないので、これまで一切掣肘してこなかったし、これからも、毛頭する積りもはありません。

ただ、一つだけお聞きしておきた事があります。

本田さん、あんたはホンダの社長の道をとられるのか、それとも技術者としてホンダにいるべきだと思われるのか。

その辺りをどう考えておられるのか。

あたしは、そろそろはっきりさせなければならない時期にさしかかっていると思っているんですがね。」

 

と問いかけた。

 

 

技術者として、陣頭指揮を常に取ってきた宗一郎氏だったが、ホンダの社長と言う思いも強い。

宗一郎氏は迷ったが、ホンダの社長を選んだ。

この時、すでに宗一郎氏は、還暦を過ぎており、体力に限界を感じていたのも社長を選んだ理由だろう。

 

これで、町工場から、バイクメーカーとして世界に名をとどろかせた企業に引き上げた宗一郎氏の時代は幕を閉じ、その子供たち(弟子達)の時代の幕開けとなる。

 

技術は、進歩し続けるが、人間には老いと言うものがある。

いくら宗一郎氏が天才と言えども、一人の人間である以上いずれは老いてしまう。

その時に、いかに後継者を育成するかが、万物流転の法則から逃れるか方法の一つとして、藤澤氏が研究所を作った目的である。

見事に宗一郎氏の子供達は、宗一郎氏を乗り越え、一人立ちをした。

 

前任者の背中だけを追いかけていては、いつまでたっても成長・発展は出来ない。

人には、それぞれ個性があるが、前任者を乗り越えてこそ、さらなる成長と発展があると思う。

 

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