お仕事小説『見えない損失』──倉庫の隅に眠る価値の物語

📘 第一章 埃の下に眠るもの

天井から吊るされたLEDライトが、金属ラックの影を長く落としていた。

フォークリフトの走行音が、時おりコンクリート床に反響する。

中山孝司(なかやま・たかし)、48歳。現場歴25年、ベテランのフォークリフトオペレーターだ。

今日は月イチの棚卸し日。出荷作業は他チームに任せ、自分はひとり、倉庫奥のDゾーンの確認を担当していた。

ふと、背の高いラックの一番下段に、妙な違和感を覚えた。

段ボールの角がたわみ、テープも黄ばんでいた。その上には、うっすらとした灰色の埃。まるで、長い年月を物語るかのようだった。

しゃがみ込み、品番ラベルを覗き込む。手書きで「TNB-03」と書かれていた。

「ん?TNBシリーズって……もう扱ってないんじゃなかったか?」

独り言のように呟きながら、倉庫管理アプリの検索画面を開く。

検索結果に出た「TNB-03」の記録には、最終出荷日:2022年8月14日。

思わず、息をのんだ。

「……2年近く、ここにずっと?」

まさか、と隣のラックも確認した。そこにもTNB-03が数ケース。すべて同じラベル、同じ埃の層。

数えてみれば、ざっと14ケース。

通りかかった若手の林に声をかける。

「林、このTNB-03って覚えてるか?」

「えーっと……あ、それ、返品されたやつっすよ。卸先から“売れない”って戻ってきて。たぶん置きっぱなしじゃないすかね」

「ああ、やっぱりか」

中山は立ち上がり、しばらくラック全体を見つめた。

「このスペース、稼働率ゼロか……」

つぶやきは、自分の胸の中だけに落ちた。

かつては売れ筋商品として、出荷ラインの中心にいたTNBシリーズ。

それが今は、売れない、動かない、価値がわからない“物体”として、倉庫の隅に取り残されている。

「こういうの、誰が責任もって判断してるんだ……」

現場が気づいても、声を上げても、流れていくのは出荷と納品の波。

だが中山には、この「放置された箱」が――会社の損失に見えてならなかった。

埃の下には、金額換算できる“価値”ではなく、

気づかなかったフリをしていた“損失のリアル”が、静かに眠っていた。

📘 第二章 “在庫”ではなく“負債”

中山は休憩室の片隅に座り、紙コップのコーヒーを片手に、スマホの電卓を叩いていた。

ポケットからメモ帳を取り出し、さっき見たTNB-03の段ボール箱の数と、推定の仕入れ価格を書き込んでいく。

「えーと、1ケース12個入り、1個あたり単価がたしか……2,500円ぐらいだったよな」

14ケース × 12個 × 2,500円=420,000円。

「おいおい、42万円分も、2年間も寝てんのかよ……」

コーヒーの苦みが、少しだけ重く感じた。

倉庫スペースは有限だ。TNB-03が占拠しているのは、約2スパン(1スパン=1.2mのラック区画)分。

このスペースには、本来であれば回転率の高い定番商品や、キャンペーン品などを配置できる。

実際、先月には入荷スペースが足りず、一部の納品を一時的にトラックに積んだまま翌日に回したこともあった。

「その時のトラック待機費用、1日12,000円……あの時、TNBがなければ空いたのに」

思わず、自分でも苦笑した。

「たら・れば」ではある。けれど、“在庫”が“負債”になっている”現実を、現場は肌で感じている。

その日の業務終了後、中山は残ってパソコンを開いた。

現場のデスクトップPCは古く、起動も遅い。でも、Excelは使える。それで十分だった。

A列に商品名「TNB-03」 B列に在庫数「14ケース」 C列に1ケースあたりの金額「30,000円」 D列に保管開始日「2022/08/14」 E列に最後の出荷日「同上」 F列に備考「返品在庫・動きなし」

単純な一覧。だが中山にとっては、見えていなかった「見えない損失」を数値化する第一歩だった。

「保管料も見ておくか……このエリアの坪単価って、たしか3,000円くらいだったな。年間で36,000円、×2スパンで72,000円。2年で14万か……」

在庫原価:約42万円

保管費用:約14万円

売れ残りによる機会損失(推定):約10万円以上

「……66万円、これ全部、埃かぶって寝てるだけかよ」

中山の指が止まった。

この数字は、“上の人間”だけが扱うものだと思っていた。けれど今は違う。

倉庫作業員として、会社の損益に影響する現場の「声」を見つけてしまった。

「伝えなきゃいけないな、これは」

ただ、伝え方が問題だった。

単に「古い在庫が邪魔だ」と言えば、愚痴や文句に取られてしまう。

だから中山は、“問い”を添えることに決めた。

この在庫、もし自分の持ち物だったら、2年間も放っておけますか?

そう書いた付箋を、印刷した在庫一覧の右上に貼った。

現場の小さな提案は、ここから始まろうとしていた。

📘 第三章 問いから始まる提案

翌朝、始業のチャイムが鳴る前。

中山はいつもより少し早く倉庫に入った。

前日にプリントアウトした「埃をかぶった在庫一覧」と、その右上に貼った黄色い付箋――

この在庫、もし自分の持ち物だったら、2年間も放っておけますか?

その一枚を手に、ゆっくりと事務所に向かった。

現場事務所のドアをノックし、課長席の向かいに立つ。

「課長、ちょっと……見てほしい資料がありまして」

「ん? なんだ?」

課長の藤村は、50代半ば。数字に厳しく、口調はやや淡泊だが、現場の話もよく聞くタイプだった。

中山は黙って、資料を机の上にそっと置いた。

藤村は手元の書類に視線を落とし、静かに読み始めた。

1分……2分……しばらくの沈黙。中山は、固くなった背筋を少しだけ緩めた。

そして、課長がぽつりと言った。

「……TNB-03? あー、これ返品で戻ってきてたやつだな。まだ残ってたか」

「はい。昨日、棚卸しで確認したら14ケース出てきまして。最終出荷が2022年の8月14日。それ以降、動きゼロです」

藤村の目が少し鋭くなった。

「2年もか……金額にすると、ざっと……」

「仕入原価で42万。保管費含めれば60万以上。

それに、場所ふさいでるぶん、売れ筋の商品入れづらくなってます。先月、納品受け入れが遅れたのも、こいつのせいかもしれません」

静かに、けれど力のこもった声だった。

“文句”ではなく、“提案”として伝える。中山なりの覚悟だった。

課長は資料の右上、付箋の言葉に目をやった。

この在庫、もし自分の持ち物だったら、2年間も放っておけますか?

目を細めて、ふっと息をつく。

「……なかなか、ぐさっとくるな」

その一言に、中山は少しだけ肩の力を抜いた。

「分かった。これ、部長にも見せてみる。

それと、滞留在庫の棚、仮で作ってみようか。動かせない在庫、見えるようにしておいた方がいい。今まで“見て見ぬふり”してたな、たしかに」

「ありがとうございます」

「いや、ありがとうはこちらだよ。こういうの、現場から出てくると、やっぱ説得力あるわ」

その瞬間、中山の胸の奥で、何かがカチッと噛み合った。

「気づいたことを、数字と問いで伝える」ことが、現場でも力になると実感した瞬間だった。

その日の昼、倉庫の休憩室で、若手の林が中山に声をかけてきた。

「中山さん、なんか課長、TNB-03のとこ見に来てましたね。なにかあったんすか?」

中山は、コーヒーの紙コップを指で回しながら、軽く笑って言った。

「いや、ちょっと聞いてもらっただけだよ。埃の下にも、意外と大事なもんが眠ってるって話さ」

📘 第四章 見えない損失、見える変化

翌週の火曜日、午前10時30分。

会議室では、月例の「在庫回転率レビュー会議」が始まろうとしていた。

いつものように、物流部長、経理課の主任、営業部のアシスタントマネージャー、そして倉庫課長の藤村が席に着いていた。

その手元にあったのが――中山が作成した「埃をかぶった在庫一覧」だった。

「この資料、現場の中山から上がってきたものです」

藤村課長の言葉に、部長が眉をひそめて目を通す。

「TNB-03……あぁ、これ廃番になってたやつだよな。返品分か。まだ残ってるのか?」

「はい。14ケース、棚の奥にずっと眠っていたようです。

保管開始から2年、動きはゼロ。推定原価42万円、保管コストを含めて60万以上が棚で“静かに損失を出している”と考えられます」

その瞬間、部屋の空気が一段階締まった。

経理課の主任・大沼が言った。

「帳簿上はまだ資産計上されています。評価減をかけてないんですよ。

でも、こうして見ると……実態としては、すでに**“死に筋在庫”**どころか、“不良債権”に近いですね」

「仮に処分するとしたら、廃棄費用も出ますよね?」と営業部の木下が続く。

「ええ。ですが、今処分すれば、棚卸資産から除外して税務上の評価も整理できます。

なにより、この件で私が注目したのは――」

大沼は手元の付箋を見ながら続けた。

“この在庫、もし自分の持ち物だったら、2年間も放っておけますか?”

「この言葉です。これは、在庫に対する考え方を根本から問い直す言葉ですよ」

部長が、ふっと息をついた。

「中山ってのは……どんな人だ?」

「現場のフォークマンです。ベテランですが、普段は物静かなタイプですね」

「……いい視点を持ってる。現場がこういう目を持ってくれると、経営としても助かる」

その日の午後、会議室での内容は速やかに行動に移された。

まずはTNB-03の処分検討。代替部品が出回っており、再販の可能性はゼロと判断された。

会議で決まったのは:

TNB-03は在庫評価減+処分手続きに移行 倉庫に**「長期滞留品専用コーナー」**を設置し、3ヶ月単位で更新 滞留在庫リストの月次チェック制度の導入

加えて――

「現場から“損失の芽”に気づいた者には、部門表彰の対象にする」

そんな言葉も、部長の口から出た。

その夕方、課長の藤村が現場に戻ってきて、中山に声をかけた。

「おい中山。お前の資料、会議で好評だったぞ。経理も営業も『目から鱗だった』ってよ」

「……そうですか」

中山は笑みをこらえながら、床に置いたパレットの位置を直した。

「それに、来月から“滞留在庫チェックの日”ができるってさ。お前の出番、まだまだ増えるぞ」

「……それはちょっと困りますけどね」

軽口を叩きながらも、その表情には、

確かな“手応え”がにじんでいた。

📘 第五章 若手に伝える背中

翌月の第一月曜日。

現場では新しく導入された「滞留在庫チェック日」が始まっていた。

朝礼のあと、チームリーダーが声をかける。

「今日はチェック日だぞー。Dゾーンから頼むなー。あと、TNB-03のとこ空いたから、新商品入れるぞ」

フォークリフトが動き出し、作業員たちが“長く動いていない在庫”に目を向け始めていた。

それは、これまで“スルーされていた棚”に、現場の意識が戻ってきた証だった。

若手の林は、中山に声をかけた。

「中山さん、あの在庫チェックのやつ、資料って自分で作ったんすか?」

「ん? ああ、簡単なもんだよ。Excelにちょこちょこっと」

「スゴイっすよね……現場で、あんなふうに考えるって。自分、まだ“どれを動かせ”しか考えてなくて」

中山は少し笑って、ラックの番号ラベルを張り替えながら言った。

「俺も昔はそうだったよ。『決まったことを、間違いなくやる』だけで十分だと思ってた」

「でも……変わったんですよね?」

「ん。ある時、こう思ったんだよ。

“会社のもん、預かってるだけじゃなくて、守ってんだ”って」

林は黙ってうなずいた。

「それにさ――」

中山は、少しだけ真顔になった。

「黙って見てると、何も変わらないんだよ。誰かが“これはおかしい”って言わないと、ずっと動かない。

ただ言い方を間違えると、ただの文句になる。

だから、“問い”に変えて伝えるんだ。『もし自分の持ち物だったらどうする?』ってな」

「……なるほど」

林は、静かに言った。

「俺も、気づけるようになりたいっす。言われたことじゃなくて、“おかしい”に気づける人に」

中山は、肩を軽く叩いた。

「その一歩は、“見る”ことから始まるよ。『なんか変だな』って感覚、無視しないこと。それだけでいい」

その日の午後、林は自分のメモ帳に「出荷率の低い商品」と書き込んだ。

毎日少しずつ、出荷の少ない商品を見つけては、倉庫管理システムの履歴を確認し始めた。

それを見て、中山は何も言わなかった。

けれど、彼の胸の内では小さな火が灯っていた。

🎯 エンディング

埃をかぶった在庫が、“動かないモノ”から“動き出すきっかけ”になったように。

現場で働く人間の中にも、問いを持ち、考える力を育てていく人材が増えていく。

それが、会社の「体質」を、静かに、確実に変えていく。

現場は、会社の未来を守る場所。

気づく者がいる限り、そこから“経営の改革”は始まっていく。

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