万物流転の掟に巻き込まれつつあるホンダ。その原因は、No.1と対等に渡り合えるNo.2の不在
「ホンダは、ソニーになってしまうのか。
本田宗一郎の精神を失った経営は負のスパイラルに」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41937
この記事を読んで感じるのは、
本田宗一郎氏の精神を失ったのではなく、
藤沢武夫氏の代わりをする人物がNo.2に
居ないことが問題なのではないかと思います。
記事の中では、
”伊東社長は「早く、安く車を出せ」と開発陣を急かせた。“
とあります。
それに対して、
”あるエンジニアは
「技術が完成していないので、
まだ販売は無理だと開発現場は反対したのに、
伊東社長が人事権をチラつかせながら、
押し切って無理やり市場投入を決めた。
開発陣では発売前から
この車は必ず大規模リコールになる
と言われていた」“とあります。
この構図は、
マスキー法をクリアする為に
宗一郎氏は空冷式エンジンでの開発、
若手技術者は水冷式エンジンでの開発を主張して、
対立した時と同じではないかと思うのです。
この時の対立では、
藤沢武夫氏が若手技術者の立場に立ち、
宗一郎氏に対して「1人の技術者」か「社長」か、
どちらを取るかと決断を迫りました。
そして、宗一郎氏は、
社長という立場を選択し、
結果的には、マスキー法をクリアして、
ホンダの名を世界に知らしめる事となったのです。
後日、藤沢氏は、
空冷式のエンジンでも成功していただろうと言っています。
とは言え、もし、宗一郎氏の主張通り、
空冷式エンジンでの開発をしていたら、
どうなっていたでしょうか?
空冷式エンジンでの開発が成功したとしても、
その後のエンジン開発には遅れをとっていたのは、
確実なのではないかと思います。
この事から、No.2は、
No.1と同等の能力が必要なのと同時に、
場合によっては、No.1との対立することも
求められるのではないかと思います。
記事に中には、
本田技術研究所のことも書かれています。
研究所を発案したのも藤沢武夫氏です。
発案した理由は、本田宗一郎氏が引退したあと、
万物流転の掟に逆らう為の人材育成であり、
その為にも一般的な会社の上下関係を無くす為。
研究所が出来たことにより、
研究所で宗一郎氏はモノづくりに集中することが出来るようになり、
ホンダ工業では、藤沢氏が経営を担う
ツートップ体制が成り立ったんですよね。
今のホンダが失ったのは、
宗一郎氏のモノづくりに対する精神だけでなく、
藤沢氏の「誰かのカバン持ちをして、なんとかして、
その無名人の才能をフルに生かしてあげたい」
という精神も失っているのではないかと思います。
宗一郎氏と藤沢氏2人の精神が生きてこそ、
真のホンダと言えるのではないかと思ったりします。
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