万物流転
本田技研工業の創業者の一人である藤澤氏の本「経営に終わりわない」(著者:藤澤武夫)を読んで。
この本を読み終わってみると、宗一郎氏の技術者としての飛び抜けた才能と行動力を限界まで引き出したのは、藤澤氏の手腕によるものだと思ってしまう。
宗一郎氏なら必ずやり遂げてくれると言う絶対的な信頼と自信を藤澤氏が持っていると同時に、宗一郎氏も藤澤氏の経営手腕への絶対的な信頼と自信を持っている事が判る。
「得手に帆をあげて」と言う本について書かれているが、これは、藤澤氏が進めて書かせた本であったようだが、本来の思惑とは内容がちょっとずれてしまったらしい。
宗一郎氏は、機械について素人でも分かりやすく説明してくれてると言う事で、日本の機会発展史と色々な人の役に立つ基本文献になるだろうと言うのが本音だったらしい。
本当の宗一郎氏の魅力は、技術を判り易く明確に説明するだけでなく、作り方も明快に解説する事にあると言う。
また、チェーン・リム・スポークと言ったバイクの足回りの開発も、協力メーカーと一緒になって開発している。
この開発した部品を買うメーカーに対して、苦労して開発した宗一郎氏との違いは天と地の差がある。
この技術開発の記録などを発表する事により、世界に日本の技術はこのような考えから生まれたと伝える意味もあったし、宗一郎氏の本当のすごさを知って欲しかったと言う思いがあったと言う。
技術は、どんなものであれ、何もない処からは生まれてこない。
宗一郎氏のような想像力豊かで、行動力がある人は時代の過渡にしか出てこない人だと思う。
藤澤氏の思惑通りの本が発売されていたら、どれだけの人が、宗一郎氏の考え方に刺激を受ける事が出来ただろうか。
それを考えると残念に思う。
藤澤氏の夢は、”誰かの鞄持ちをして、なんとかその無名人の持っている才能をフルに生かしてあげたい事”だったと言う。
その相手が25年間付き合い続けた宗一郎氏だったわけである。
宗一郎氏は、欠点もたくさんあったが、周りの人たちはそれを知っていても宗一郎氏の事を好いていた。
それは、周りの人達が欠点を欠点と見ず、魅力と取られていた証拠だろう。
藤澤氏も”ただ、本物の自分を持っていること、技術では本物だと言うこと、それで十分です。”と言うように、宗一郎氏が持っている本物の心に魅力を感じていたからこそ、技術と経営と全く違うモノのエキスパートでありながら、絶対的な信頼関係を築けたのだと思う。
藤澤氏の考えていた組織図は、宗一郎氏と言う天才がいなくなった後の事を考えた組織作りを考えていたと言う。
宗一郎氏のような人を育てようとしても、育つものではないので、何人かの人間を集める事で宗一郎氏以上になるような組織作りを考えなければ、企業が人に迷惑をかけてしまうと心配をしていた。
組織と言えば、ピラミッド型を思い浮かべるが、藤澤氏はその組織型には反対をした。
それは、宗一郎氏のような人が何十人もそろった時こそ、企業は安泰になると思っていたため、ピラミッド型では、その人達の才能を生かしきれないばかりか、才能をつぶしてしまう可能性があると考えていたからである。
また、エキスパートと言われる人達の存在を明確にする為に、現場には「私の記憶(履歴書)」と言うノートを置いて、その人達の行った仕事の内容を残すようにした。
これをする事によって、自分の行った仕事の功績を残せると共に、他の部署に異動したとしても、そのノートを一緒に持って行く事で今までやっていた仕事が判るようになる。
この事で、不要になって移動させられたと言う在来形が、功績があった事による移動になったと言うように、自分の過去が認められたと感じる事が出来る。
このノートには、その人が今まで取り組んできた仕事内で、その時に絞り出した知恵や才能を活かす事で開拓者精神が込められているだけでなく、それは、そのまま企業成長の基礎と記録になる。
これは、”企業は人”と言う事を示している。
また、エキスパート達が明確になる事により、その人達が職場を超えて話し合い、有機的なつながりを持つ事により、効率がよく、合理化を行う事が出来るようになった。
藤澤氏が、このように宗一郎氏と言う天才に頼らないで、企業として成り立たせようとするのには、大きくなったモノは必ず衰えると言う”万物流転”と言う考えが根底にあるからだそうだ。
これは、どんな時代にもある事であり、今の時代もそうならない為に、合併・統合をする企業が繰り返されているが、ただの合併・統合を行うだけでは、その流れは止められないと思う。
合併・統合を行った上で、組織の見直し、企業と個人の目標・目的の再設定を行い、上層部・従業員の意識改革をしない事には変わる事は出来ないと思う。
また、時代の流れというものは、人の考えの違いを必ず起こしてしまう。
藤澤氏は、”古い知識を振り回したら、時代に取り残される。”と言っている。
”昔を知らないからこそ、急激な流れの変化に対応出来たのでしょう。”とも言っている。
昔は、日本国内だけに目を向けていればどうにか対処出来たが、現在は、世界に目を向けていないと確実に置いていかれて消えるのみ。
インターネットの普及により、情報量が格段に増え、情報の伝わるスピードも格段に速くなっているので、昔の知識をいつまでも頼っているようでは、新しいモノは絶対に生みだす事は出来ないと思う。
これを読んで、自分のコーチングの基となるモノがあると気付いた。
藤澤氏の夢だったと言う”誰かの鞄持ちをして、なんとかその無名人の持っている才能をフルに生かしてあげたい事”が、まさに自分も同じ事を思っていた。
その人の才能をフルに生かしてあげたい、その手伝いをしたいと言うのが、今の自分がコーチングをしたいと言う理由になっている。
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