「部下目線で仕事の教え方を行い、
新人・若手が働きやすい環境作りのサポートを行います。」

仕事を教える時の姿勢として、教わる側である部下目線・立場で教える事が出来るようにコーチングセッションを行います。
また、仕事のマニュアルを図解化し、新人・若手に仕事の基本・知識を身に付けてもらう為のサポートを行います。
若手・新人が、仕事の基本を学び、自分のペースで成長できる環境を作り、将来、会社に対して人財となる為のサポートを行っていきます。
指導者に対しては、理想の人生の実現化する為のコーチングセッションを行います。

 

自己画像

1971年8月15日生まれ

愛知県在住  吉岡 晃

名前のようにあなたの歩む道筋を
日の光で照らすお手伝いをします。

 
趣味:ガンプラ作り
インコの健康管理


 私は、転職経験10回と高野 登さん(リッツ・カールトンホテル 元日本支社長)から学んだホスピタリティ精神を取り入れた部下目線の仕事の教え方コーチングセッションを行い、仕事を通して従業員満足度アップをするサポートを行います。
 
私は今まで、10回の転職を繰り返す中で、いろいろな職場でいろいろな教えられ方を経験してきました。
 
その中で、1番感じたのが指導する側の一方的な教え方が多かったという事でした。
 
会社の規則・ルールを守るのは当然ですが、教える相手の性格や価値観を無視するのとは違います。
 
言われた事が出来ない、失敗が多い、仕事は遅いなどは、学校の勉強のように得意・不得意と言った個人差があって、必ずしも、みんな、同じペースで出来るようにはなりません。
簡単に出来る人もいれば、出来るまでに時間のかかる人もいます。
 
その個人差を考えず、出来て当たり前、出来ないのは努力が足りないという考えの指導者(職場のリーダー)を見てきました。
 
また、1つの仕事に慣れていないにも関わらず、次から次へと新しい仕事を任せ、仕事が遅い、効率が悪いと怒る指導者もいました。
 
そして、間違えた事に対して、言葉で注意をするのではなく、物を投げて来る人もいました。
 
そういった人達と仕事をしてきたからこそ、仕事の教え方と従業員満足度の関係性を感じてきました。
 
 
職場環境や福利厚生が充実していても、会社は仕事を行う場所です。
 
毎日の仕事に対して、不満・ストレス・プレッシャーだけを感じていては、仕事に集中出来ないだけでなく、精神的に病んでしまい、失敗を繰り返してしまいます。
 
1日の約半分を過ごす会社です。
そんな会社や仕事に対して、不満・ストレス・プレッシャーばかりを感じたり、体を壊しては、せっかくの自分の人生が台無しです。
 
多くの人は、自分の限界に達する前に会社を辞める選択をします。
そして、責任感の強い人は、限界を越え、体を壊したり、精神を病んでしまいます。
 
どちらにしても、人手不足の今の時代、会社にとってはマイナスの要素しかありません。
 
働く人にとっても、せっかく慣れた仕事を辞めたり、体や精神を壊して生活に支障をきたしたり、生活の糧を失ったりとマイナスの要素しかありません。
 
10回転職した私がいうのも変ですが、会社を辞めずにすむのなら辞めない方がいいのです。
その理由は、転職には、リスクが伴い、多くエネルギーと時間と労力が必要だからです。
言ってみれば、大切な人生の時間を本来使う必要が 無い事に使う事になります。
 
 
会社と働く人のWin・Winの関係を作る為には、会社が一歩踏み出す必要があります。
その理由として、働く環境を作るのは会社側だからです。
 
会社が従業員満足度を高める為には、従業員が働き易く満足できる環境(器)を作る事から始めるのが必要です。
福利厚生や給料のアップなど、目に見えてお金で解決出来るものは簡単に出来ますが、仕事の満足度を高める為には、教えられる相手の目に見えない感情や心の満足度を高める必要があるので難しい部分があります。
 
仕事の教え方は、基本的な部分は、文章にしてマニュアル化して見える化して共有化は出来ますが、一人ひとりに合わせた仕事の教え方のマニュアル化は難しいです。
 
なぜなら、一人ひとり、価値観や性格、長所・短所に合わせた仕事の教え方のマニュアルを作成する必要があり、誰にでも使えるマニュアルではないからです。
それでも作る必要があります。
 
相手に合わせた仕事の教え方をする事のメリットは、一言で言えば、私の事を見てくれている、分かってくれていると感じてもらえる事です。
 
相手に合わせた仕事の教え方をする事で、相手に合わせた目標を作る事で、適切な指導・アドバイスが出来るだけでなく、成功体験が出来て、仕事に対して自信を持たせることが出来ます。
 
その結果、職場に居場所を見つけ、仕事に対して、達成感を感じ、前向きになり、仕事に満足感を感じる事が出来るようになります。
 
また、無理な目標を設定しない事で、ミスの多発を防止し、教える側の出来ない奴という思い込みを防止にもなります。
 
もし、教えてもらう側の価値観や性格、長所・短所を無視して教えた場合、相手の仕事の理解度や熟練度を考慮していないので、無理な目標を作ったり、仕事量を多くしたりして、目標を達成出来なかったり、ミスを多発してしまう可能性があります。
 
目標を達成出来なかったり、ミスを多発すると、仕事に対して自信を失って、自分には無理、この仕事は合っていないと考え出して、仕事に対して、苦手意識が生まれ、消極的・受け身になってしまいます。
 
そして、教える側からは、仕事に対して積極性が足りない、ミスが多い、目標を達成出来ないというダメな奴だというイメージが埋め込まれ、ミスや出来ない部分しか目に入らなくなり、ミスや出来ていない部分ばかりを注意し、相手の仕事に対する苦手意識や自信喪失を増大させてしまいます。
 
その結果、ミスの指摘ばかりされている事で、教える相手に対して苦手意識を持ってしまい、仕事で分からないことがあっても質問するのが怖くなったり、仕事のミスが怖くなり、会社に居場所を失い、仕事を辞めたい・転職したいという思いが強くなり、限界に達したり、希望の転職先が見つかると退職(退社)という選択をしてしまいます。
そうしない為にも、仕事に対する満足度を高める必要があります。
 
仕事の満足度を高めるアプローチ(方法)として、私は部下目線による仕事の教え方が出来るようにコーチングセッションを行い、少しでも多くの人に会社とWin・Winの関係を築いてもらい、仕事に対して満足度を高めてもらいたいという思いでサポートを行なっています。
 
 
 

自己紹介

「自分軸構築時代」

私は、建築関係の専門学校を卒業後、建築設備関係の会社に就職をしました。
その会社では、営業・設計・施工管理を1人で行う仕事のスタイルでした。

私は入社半年ほどして、1つの現場を任されました。
その現場で、大きなミスをしてしまいました。

そのミスと言うのは、本来、壁を作る前に壁の中に電気関係の配線を行わなければいけないのに、そのことを忘れてしまい、誰にも言えず悩んでいました。
悩んだ挙句、逃げるように転職をしました。

転職先に選んだのは、あまり人と関わらない倉庫関係の仕事でした。
その仕事は7年ほど続けました。
その7年間の前半は、指示をされた事を行う仕事のスタイルでした。

そのスタイルから、自発的に考え行動する仕事のスタイルに変わっていきました。
変わったきっかけは、上司が変わった事でした。
上司が変わったことにより、指示を待っていては仕事が進まないと言う現状があったからです。

自分で考え行動することによって、無意識に一緒に働く人たちとコミニケーションを積極的に取るようになりました。
それと同時に、相手の為に何かを行うということに楽しさとやりがいを感じ始めました。

そんな状態が3年ほど続きましたが、どんなに頑張っても、会社から評価をされないと言う現状がありました。

そして、転職を決めたきっかけは、ボーナスを社員全員一律5万円下げられたことでした。
そのことから、自分の働きは全く認められていないということを実感し、一気に仕事に対するやる気が失せました。

ただ、会社の経営状況も悪かったと言うのも事実でした。
実際、私が転職してから5年ほどして、その会社は同業他社に吸収合併されて、倒産をしました。

とりあえず、収入を得る為に知り合いの紹介で、倉庫の入出庫の仕事をアルバイトで行う事にしたのですが、場所が車で2時間ぐらいかかるのと、1人で倉庫の入出庫の管理を行うために、休めないというプレッシャーもあり、3ヶ月ほどで辞めてしまいました。


辞めた後は、人との繋がれる仕事をと思い、それまでの経験がなかったテレアポによる営業へ転職しました。
どのようなものを売るかといえば、知っている人は知っているマイラインという電話のサービスです。

営業トークの書かれた紙を貰い、あとは、ひたすら電話をかけまくるという行動に、どうしても慣れることが出来ませんでした。

結局、2ヶ月ほどで辞めてしまいました。

次は、倉庫業の経験を活かす為に、物流会社に転職しました。
扱っている荷物は、主に自動車部品関係でした。
そこでは、フォークリフトを使い、トラックへの荷物の積み卸しを主に行っていました。

1日の中で1番忙しい時間帯では、1人で1度に2台のトラックの積み込み作業のサポートを行いながら、他のトラックの荷物を下ろす作業も行っていました。

そんな仕事が出来たのもドライバーとのコミュニケーションが上手くいっていていたからです。上手くいっていた秘訣は、相手の為に事前の段取りをする事でした。

ただ、上司の目には、事前の段取りが無駄な仕事と映っていたようで、いろいろと注意をされ続けました。

注意はするけど、具体的にどんな段取りをすればいいか、指示はせず、ただ見ているだけでした。

ここの職場でも、一緒に働く人達のために働くことにやりがいを感じていましたが、上司とは意見が合わず、5年弱で辞めてしまいました。

 

次は、再度、人と関わる仕事がしたいと言うことで、ウォーターサーバーをレンタルしている会社で飛び込み営業を短期間ですが行いました。

ただし、この仕事は、私にとっては苦痛でしかありませんでした。
私自身、水を買って飲む習慣がなかったので、ウォーターサーバー自体の価値をまったく感じていなかったからです。

そして、一緒に回っていた先輩の行動を見て、辞めようと決めました。
その行動とは、大きな一戸建ての家の人が、夕方出掛けるところだったにも関わらず、その人を無理矢理引き留めて、売り込みをしていたのです。
そして、相手から怒鳴られました。
正直、相手を怒らせてまで、売り込む意味を私は感じる事が出来ませんでした。

あと、面接の時には、夕方の訪問はしないと言われていましたが、結局、夕方になっても訪問をさせられました。

そんな事もあり、2ヶ月ほどで辞めました。

 

「人生のミッション明確化時代」

今度は、少し違う物流と思い航空貨物を扱う仕事に転職をしましたが、ここからが苦難の始まりでした。

求人票には、車通勤禁止とあったのですが、金曜日の夜は、26時過ぎまで働く事となり、結果的に車をする事になりました。

そして、入社後、何回も仕事内容が変わったり、他の営業所へ応援に行かされたりと、まったく、落ち着いて仕事は出来る環境ではなく、会社の都合が良いように働かされる事になりました。

その結果、生活のリズムが崩れ、自暴自棄になりかけ、自分の生活と心を守る為に辞めました。
生活のリズムが戻ると、今度は、近場で安定した職場に転職をしました。
そこでは、水回りの部品をフォークリフトを使って出庫をする仕事を行なっていました。

そこでは、4年ほど無難に働いていましたが、正社員の1人に毛嫌いをされ、フォークリフトを使って仕事をしている最中に何度も危ない目に遭いました。

フォークリフトを使う仕事なので、危険と隣り合わせなのは、相手も知っているはずですが、それも、意に介さない行動が続きました。
人間関係が悪化すると、こんなにも危ない事になることを身を持て経験しました。

 

そんな時、結婚をした事もあり、前々からコーチングで独立をしたいと言う想いもあり、思い切って会社を辞めました。

コーチングで独立をしたものの、試行錯誤しながら1年ほど頑張りましたが、生活が厳しくなり、アルバイトをする事にしました。

今度は、小さいながらも愛知県では知られている家具メーカーの工場のラインでアルバイトとして働く事にしました。

仕事内容的には、製品を箱に入れる工程を3人で行い、私は、箱作りをする部分を行なっていたのですが、そこの工程のリーダーは、言葉ではなく、行動で注意をする人だったのです。

その為、間違えた箱を作ったら、その箱が投げつけられました。

そんな行動をしていれば、他の人の目に止まるはずですが、段ボールを立て掛けてあるカゴの影になっていて、他の人達からは見えない場所になっている事もあり、一部の人しか、その行動は知らない状況でした。

そして、もう1人の人が休んだ時などは、私が2人分の仕事を行う事となり、行なった事もない仕事に対しても、出来て当然という態度でミスしたら、厳しい言葉が飛んできました。

そんな時、父親が軽い痴呆症の傾向が出て、時給の高い仕事をする必要があり、3ヶ月ほどで辞める事になりました。
職場の課長などからは、続けてほしいと言われましたが、父親の事以上に、リーダーのあまりにも酷い対応に嫌気がさしていた事もあり、続ける事はしませんでした。

辞める際の理由は、父親の介護が名目でしたが、もう1つのリーダーに嫌気がさしたと言う理由は伝えませんでした。

後から、知ったのですが、私が行なっていた仕事は、簡単なのにリーダーの影響で、長続きした事がないそうです。
それを聞いて、正直、納得でした。

辞めるに際して、お世話になったお礼として、私がお菓子などを送る筈なのに、逆に私が、お疲れさまとお菓子を貰ってしまいました。

まさに、会社や他の工程は良い筈なのに、1人のリーダーの影響で、働く人が長続きしない場合もあると言うことを実感させられました。

今度は、少しでも時給の良い仕事と思い、派遣登録をして、某自動車メーカーグループの会社内のフォークリフトの部品を倉庫管理・入出庫をする仕事を請け負っている会社でお断りを派遣社員として、働く事になりました。

初めは、私以外にも派遣社員が2人ほど居たのですが、私が入社して、2ヶ月ほどして2人は辞めてしまいました。

その結果、入社3ヶ月後には、人手不足という事で、私は6つの仕事を1人で行う事になっていました。

一つ一つの仕事も慣れていないので、効率や仕事の配分も上手くいかず、10時と15時の10分間の休憩も取らず働きましたが、まったく、追いつきませんでした。

その結果、半年で8キロほど痩せました。

そして、毎回、リーダーからは、遅い、効率が悪い、全然、一人前の仕事が出来ていないと言われ続けました。

ちょうど私が働い出した時期が、新入社員が入ってくる時期でもあり、2人、高卒の男の子が入社してきました。

入社してきて、仕事内容で2人の明暗が分かれました。

1人の子は、一つの仕事を集中的に行なっていましたが、もう1人の子は、3つの仕事をその時の状況によって行なっていました。

そして、後者の子は、職場のリーダーからは「本来なら定時で終わっている仕事量だ」と苦言をされていました。そんな時、その子が1つの失敗をしてしまい、それがきっかけで、入社半年で会社を辞めました。

失敗を苦にして辞めたのかは定かではないですが、少なくともリーダーの指導力不足は否めないはずです。

私自身も、自分の健康管理の為に10ヶ月ほどで辞める事にしました。
派遣会社の方からは、直接雇用と言う打診も内々にあるような事を言われましたが、自分の健康が第一なので無理ですとお断りをしました。

次も、同じ派遣会社の紹介で、外資系の某製薬メーカーの工場内の仕事を請け負っている会社で派遣社員として働く事になりました。

最初の話では、残業もほとんど無く、定時で帰れると言う話で働き始めました。実際、残業も殆どなく、仕事も製品を自動倉庫に入れたり、出荷の準備を5人で行うので、すごく楽でした。

ところが、入社後、半年で、同じ職場で、違う仕事をしている人がミスが多いと言う事で、変わってほしいと言う打診がありました。

初めの就業時間が、午前7時から午後4時までだったのですが、仕事内容が変わる場合、午後8時から午後5時に変更になると言う事で「通勤時間が渋滞で倍以上(片道1時間30分)かかるので無理です」と答えると、就業時間を変更してまで打診されたので変更を了承したのですが、これがプレシャーとストレスの始まりでした。

替わった仕事は、2人で行い、製品を入れる箱と説明書を指示数通り荷揃えするピッキング作業がメインでした。

仕事内容的には、簡単なのですが、バーコードを読み取るハンディーカムの操作とパソコンによる操作などあり、慣れるまで時間がかかるものでした。

最初の1ヶ月ほどはミスの連続で、もう1人(仮に“Aさん”とします)の人には、努力が見えない、やる気はあるのかと言われ続けました。

そして、殴って教えた方がいいかとまで言われました。

ルーチンワーク的な仕事なので、仕事のやり方は、自分がやりやすい方法でやってほしいと言われ、ミスを無くすためのコツや注意点などは、教えてもらえませんでした。

結局、自分で作業の流れ図を書き、そこに作業の注意点を書き、色々と試行錯誤を行なった結果、2ヶ月後には、週に1回、ミスをする程度になりました。

なりましたが、まだまだ、慣れていない部分もあり、その都度、Aさんからは、注意をされ続けている現状。

Aさんに対しては、同じ質問を3回以上すると、不機嫌になり、はっきりとは答えてくれません。

そして、指示をする際も、私の方を向いて話すのではなく、違う方向を向いて話すので、聞き取る事も出来ない場合もあったりて、間違えた行動をすると、何をやっていると怒ってきました。

出来なかった事が出来るようになっても、その事に関しては何も言われず、出来ていない部分に関して言われ続けると、正直、気が滅入ってきます。

そして、何かを質問すると、不機嫌そうに答えられたりして、質問をするのも恐る恐るするようになりました。
そんな不機嫌な対応の裏には、私が残業をやらずに16時で帰る事だと思えます。
以前、「16時に帰るから、後のことは関係ないだろう」と言われた事がありました。

正直、私は、そんなつもりはないのですが、相手がそう感じてしまっているので、私が残業をしない限りは変えることは出来ないでしょう。
今では、1人で仕事を行なっている感覚に陥り、仕事中に誰かと話すことは、ほとんどありません。

ただ、Aさんと仕事をする事で、仕事で出来ている部分を認める大切さを実感しています。
そして、これらを経験した事で、私の人生のミッションに気づく事ができました。

私の人生のミッションについては、下記のリンクをクリックしてください。

「私の人生のミッション」


「自分軸構築時代」と「人生のミッション明確化時代」を経て、1度、起業に失敗をしましたが、再度、自分の人生のミッションに従い週末起業として再チャレンジをしました。

2017年2月現在

 
 

職務経歴

東海物産株式会社
建築設備 · 1992年4月〜1993年5月
建物の空調の自動制御の設計・施工管理


株式会社 タケヤマ
紙業 · 1993年6月〜2000年7月
紙袋・包装紙の発送・倉庫管理・配達業務


倉庫業
倉庫業務 · 2000年8月〜2000年10月
請け負い業として、スリーエス物流の倉庫の倉庫業務を行っていました。


テレアポ営業
営業 · 2000年10月〜2000年12月
マイラインのテレアポ営業を行っていました。


カリツー
運送業 · 2001年3月〜2005年12月
トヨタ・デンソー・アイシンなどの荷物の発送業務


飛び込み営業
営業 · 2006年1月〜2006年2月
ウォーターサーバーの飛び込み営業を行っていました。


株式会社 CPR
運送業 · 2006年3月〜2007年8月
請負業務として、中部国際空港の貨物地域内にある郵船航空にて航空貨物の発送準備業務


株式会社情報と物流のタカスエ
フォークリフトマン · 2007年10月20日〜2013年11月20日
請負業務として、株式会社LIXILの倉庫内にて、フォークリフトを使い衛生陶器関係の入出庫業務


カリモク家具
ライン作業員 · 2014年9月〜2014年12月
カリモク家具の工場のラインで、製品を入れる段ボール作りを行う。


豊田自動織機
下請け会社派遣社員 · 2015年2月〜2015年12月
工場内の仕事を請け負っている会社へ、派遣社員として働いていました。
仕事の内容としましては、フォークリフトの部品の仕分け・梱包を行っていました。


ファイザー株式会社
下請け会社派遣社員 · 2016年2月から現在
工場内の仕事を請け負っている会社へ派遣社員として働いています。
仕事内容としましては、製品の箱などを梱包材をピッキングし、入庫をしています。